山を登る魚

山を登る魚のようにジタバタしながら生きてます

終わりなき不安のループを脱する「没頭」のすすめ

不安障害。僕が数年来お付き合いしている心の病気である。

数年来というのは診断がついたのが数年前という意味で、実際の発症はもっとずっと前だったように思う。

それこそ子供の頃から心配性の気はあったし、母もパニック発作で病院にかかっているのでそういう素地はあったのだろう。

しかし治療開始直前は今考えても異常なほど常に不安に苛まれていた。

投薬で症状は落ち着いたが、大きなストレスがかかると今でも調子が悪くなる。

答えのない不安がグルグルと駆け巡り、頭を抱えることもしばしばだ。

対処法はないものかとずっと考えてきたが、最近ひとつの答えにたどり着いた。

没頭のすすめ

それは何かに没頭することである。

なにかに没頭している状態というのは、不安や悩みをいったん忘れて別のことに集中できているときだ。

一時でも頭を空っぽにできるというのは思いのほか効果的らしい。

没頭の状態から抜けたあとはなぜか心がスッキリとしてモヤが晴れたようになる。

関心を他のものに逸らすことで脳に余裕が生まれて、その間にうまく悩みや不安を整理してくれているんじゃないかと勝手に思っている。

今回の記事では僕自身の備忘録も兼ねて具体的にどんなものに没頭しているのか書いていく。

個人の好みもあるだろうから誰にでも参考になるかはわからないが、同じように不安・悩みの無限ループに苦しむ人の助けになればうれしい。

読書

一番シンプルかつどこでもできるのが読書だ。

僕は電子書籍派で、いつもKindle端末を持ち歩いている。

通勤電車の中、休憩で立ち寄ったカフェ、病院の待合室…ちょっとしたスキマ時間に読書を楽しんでいる。

本を読むときは文章の意味・筆者の意図・文脈を読み取るということに意識を集中する必要がある。

これが読書における「没頭」である。

モヤモヤした通勤電車の中でも、少しだけ読書に没頭する時間を作れると、目的地に着いて本を閉じる頃には気持ちがちょっと楽になっていたりする。

そのたびに読書の癒やし効果を実感している。

家の近くに図書館があったら1日中おもしろそうな本を片っ端から読む日があってもいいかもしれない。

僕も浜松に移住したらやってみようと思っている。

なお、没頭するという意味では漫画よりも活字の本をおすすめしたい。

漫画は読書ではないと否定するわけではないが、上に書いたような意識を集中する時間を作るにはあまり適さない。

テレビゲーム

幼少の頃からのライフワーク、と言ったら笑われるだろうか。

母方がゲーム一家であり、母はドラクエシリーズ全制覇、祖母は知る人ぞ知る高難度ゲーム「ボンバーキング」をクリアしている。

ちなみに最初にゲームを教えてくれたのも母方の叔父さんである。

そんな環境もあって、比較的ゲームをやることには大らかな家庭だった。

気づけば30数年、テレビゲームは常に自分のそばにある。

僕の中のバロメーターとして、テレビゲームに集中できていないときや起動する気が起きないときは危険信号というのがある。

あれだけ好きだったゲームにやる気が出ないというのはどう考えてもおかしい。

「いや、年齢を重ねるとゲームなんかやる時間も興味もなくなるよ」という意見をよく聞く。

しかし母や祖母を見ていると絶対そんなことはないだろうと思う。

ゲームのジャンルはどんなものでもいい。

とにかく寝食を忘れて没頭するぐらいハマれたら最高である。

最近でいうとF-ZERO99やパワプロ2022の栄冠ナインあたりだろうか。気づけば夜中なんてことはしょっちゅうだ。

yamasakana.com

あと「人生で一番面白かったゲームは?」と聞かれたら迷わずGhost of Tsushimaと答えることにしている。

心の底から出会えてよかったと思えるゲームはこれ以外にない。

また、ソシャゲも没頭するという意味では悪くないが、いかんせんハマりすぎると課金で浪費してしまう点がネック。

僕自身もストレスが最高潮の頃にソシャゲにハマってかなりお金を突っ込んでしまった反省がある。

仮にも節約と資産形成を志す者としてさすがにおすすめできない。

スポーツ観戦

僕はJリーグのセレッソ大阪のサポーターである。

ファンクラブにも入り、レプリカユニフォームを着てしょっちゅう現地観戦している。

現地観戦する際には必ずゴール裏のチケットを取る。

つまり大声でチャント(応援歌)を歌い、飛び跳ねているのだ。

その90分間だけは試合展開や一つ一つのプレーに一喜一憂し、そのことだけに没頭できる。

セレッソがゴールすれば周りの人たちとハイタッチしながら狂喜乱舞。

もちろん負けた日はがっくり肩を落として帰る。

それでも友人と酒を飲みながらやる反省会もそれはそれで楽しかったりする。

最近はネット配信サービスが充実していて、いろんなスポーツが自宅で観戦できるようになった。

それでもできればスポーツは現地に行って観戦してみてほしい。

やっぱり生の歓声や選手たちの躍動する姿は何物にも代えがたい。

スタジアムに入った瞬間のあの雰囲気はいつ感じても良いものである。

今度移住する浜松の近くではラグビーやサッカーが観戦できるらしい。

ぜひ初めてのスタジアムで現地観戦してみようと思っている。

ブログを書く

文章を書く、と言ってもいい。

自分が何を書きたいか、どうすれば読み手に伝わるか考えながら文章をこねくり回すのは本当に楽しい。

僕はだいたい一つの記事をその日のうちに一気に書き上げてしまう。その時の感情や思いをそのまま文章にしたいからだ。

キリの良いところでいったん止めて、2日に分けて書くなんてことをやるとどうもチグハグな文章になる気がしてしまう。

ブログを書いているときは本当に時間を忘れて没頭している。

気づけば食事も取らず寝る時間もぶっちぎって書いているなんてことはしょっちゅうだ。

自分の文章が上手いとは到底思わないが、好きなのは間違いないんだろう。

ブログを書くことは一種の生産活動だと思っている。

そういった「何かを作り出す」趣味を持っていなかった僕は、自分の中から何かを生み出すというのはこんなに達成感のあることなんだと初めて気づいた。

特定のジャンルに尖ったブログにしたほうがいいんじゃないかと思っていた時期もあったが、もうやめた。

いま自分が書きたいことを思いっきり書こう。それが誰かの役に立つことなら最高だけど、個人的な日記だっていいじゃないか。

文章を書く、それ自体が自分にとって楽しいことなんだと気づいたから。

それにしても、こんなブログに毎日何十人もアクセスして記事を読んでくれている。本当にありがたいことだ。

そもそも三日坊主の自分がこんなに長く続けられていること自体が奇跡的なのだ。

まとめ:これから始めてみたいこと

何か没頭できることがあるだけで人間は救われる。

終わりの見えない不安や悩みで頭がいっぱいの人はなかなかそんな余裕がないかもしれないが、そういうものを1つでもいいから見つけてほしい。

そんなにお金をかけなくてもできる趣味はたくさんある。

それこそ読書なら図書館に行けば無料で読みきれないほどの本に接することができる。

僕自身、これからもいろんなものに興味をもってチャレンジしてみたい。

その行為それ自体が自分の心にとって良いものであると感じているからだ。

 

特別お題「わたしがブログを書く理由