山を登る魚

山を登る魚のようにジタバタしながら生きてます

目に入る情報はすべて広告である

現代人は毎日情報のシャワーを浴び続けている。

それが日常になっているからもう何も思わないが、おそらく脳みその容量は軽くオーバーするぐらいの情報量を毎日浴びている。

そこで必要になってくるのが情報の取捨選択である。

一時的にスマホの電源を切ってデジタルデトックスするとかそういう次元の問題ではない。

日々大量に浴びている情報の中からいかに自分に必要なものを選び取り、残りをばっさり切り捨てられるか。

その能力が問われる時代なのだ。

いちおう節約・投資といったお金の話題もテーマにしているブログなので、その観点からどうすればその能力を得られるか考えてみる。

目に入る情報はすべて広告と思え

かなり極端な書き方だが実際このぐらいの心構えでいたほうがいい。

例えばテレビ。

コマーシャルはその最たるものだが、これは広告ですと宣言してくれているだけまだ良心的である。

ワイドショーの「いま話題のデパ地下グルメ特集」はどうだろうか。

僕はこれも広告の一種だと考えている。

実際にメディアとデパートの間に金銭の授受があるかは別として、双方に利益がある。

メディアは視聴率を稼げる。デパートは集客を図れる。

では吸い上げられるのは誰か?僕たち視聴者だけだ。

世の中は広告とわからないような広告で溢れている。

商品やサービスの提供者たちは、なんとかして僕たちの財布からお金を吸い上げようとあの手この手で迫ってくるのだ。

気づいたらお金を使っていた、思わず買ってしまっていた、そんな経験は誰にでもあるだろう。僕にもたくさんある。

痛い経験も色々してきたからこそ、あらゆる情報は誰かの広告だと疑ってかかったほうがいいと学んだのだ。

ついにオールドメディアを追い抜いた「ネット広告」の怖さ

2021年、コロナ禍を追い風にしてネット広告費がマスコミ四媒体(新聞・雑誌・ラジオ・テレビ)を追い抜いたという。

(引用:株式会社電通「2021年 日本の広告費 インターネット広告媒体費 詳細分析」

Gmailを開けばネット通販のセール通知、X(Twitter)はマンガアプリやよくわからん謎のサービスのプロモーションだらけである。

オールドメディアの広告とネット広告の一番の違いは、広告と消費の距離の近さだ。

例えばネット通販のセールが始まったというメールを見れば、その場ですぐに購入ページに飛べてしまう。

これが新聞の折込チラシならどうだろう。

ショッピングモールでバーゲンセールがあると知っても、何かしらの手段で現地まで行かなければならない。

その間に冷静になってやっぱりやめておこうとなることも多いのではないか。

つまりネット広告は衝動買いに走りやすいのである。

僕はマネーフォワードというアプリを使って家計簿を付けている。

毎月だいたい趣味娯楽費に一番多くお金を使っているのだが、自分はそんなに遊び回っているわけでもない。

なんでこんなに出費が多いのか疑問に思い、内訳をよくよくチェックしてみると電子書籍の購入費が大半だった。

そう、AmazonがしょっちゅうやっているKindleセールのたびに本やマンガを買いまくっていたのである。

一冊一冊は数百円だが積もればなかなかの金額になっていて青ざめた。

実際の本と違って手に取らないからいくら大量に買っていても実感が無いのだ。

「あ、このマンガ半額になってるから全巻まとめ買いしておこう」

「この人の新書、前から気になってたんだよな。ちょうど安くなってるし買っておこう」

この積み重ねが月数万円の出費になっているから恐ろしい。

これに気づいて以降、Amazonからのセール通知は全てオフ、TwitterのKindleセール関連アカウントを全てフォロー解除したのは言うまでもない。

「自分は本当にこれを欲しいのか?」を強く意識しよう

お金は使うためにある。これは間違いない。

ただ無分別に使えるほどお金を持っている人は、たぶん今この記事は読んでいない。

このネット広告全盛時代、僕たち小市民がほどよく楽しくお金を使うためにはどうすればいいのか。

それは「自分は本当にこれを欲しいのか?」と自分に問いかけ続けることだ。

セール品に心が動いたとき、購入画面に遷移したとき、購入ボタンをクリックする直前。

「この本難しそうやけどほんまに読むんか?どうせまた積むんちゃうか?」

「今のイヤホンまだ充分使えてるし、セール価格やからって最新のやつに買い替える必要ないやろ…」

これだけで勢い任せの衝動買いはだいぶ減らせる。

そもそも本当に欲しいものは定価だろうがプレミア価格だろうが、コツコツ貯金してでも買いたくなるものだ。

作家の森博嗣さんは著書でこう書いている。

僕から見ると、大勢の方は、自分のためにお金を使っていない。誰か人に見せるために使っているのである。そこが決定的に異なっているように感じる。

(中略)

本当に自分がしたいことか、本当に自分が欲しいものか、ということをじっくりと考えれば、多くの無駄遣いが自然になくなると思われる。

(森博嗣「お金の減らし方」SB新書、2020年)

森さんは「本当に」自分がしたいことや欲しいものにはどんどんお金を使うべきだ、そのためにお金は存在しているのだとこの本で主張されている。

僕もまったくそのとおりだと思った。

物価高騰、追いつかない賃金上昇、考えれば考えるほどお金の不安は尽きない。

それでも自分は何がしたいのか、何が欲しいのかを、目先の広告や承認欲求に惑わされず自らに問いかけ続けることが有意義なお金の使い方につながるはずだと信じている。